美容外科医の伊藤渉(いとうわたる)です。
突然ですが、なぜ自分が美容外科医の道を選んだのか?
自己紹介も兼ねて、「社会貢献」というテーマに沿ってお話しさせていただきます。
「自分の頭の良さを社会に還元せねば」という使命感が燃えたぎっていた
幼少期から、アニメの主人公や映画のヒーローに憧れていた。「世界を救う男」。めちゃくちゃカッコよくね?そんなことをぼんやりと思い続けていた。
「社会に貢献したい」っていう意欲が強まったのは、高校三年の時に起きた東日本大地震の時、地元宮城で、莫大な数の人が亡くなるっていう衝撃を受けたのがきっかけ。
「自分の頭脳を使って、人類に貢献しなくては。」っていう使命感が湧き起こった。それまで、明確な夢や目標がなく、勉強もゲーム感覚でなんとなく楽しい、「頭が良い」と褒められるのが好きでやっていたのだが、初めて勉強する目的があの時にハッキリした。
当時、地震研究の権威としてテレビに取り上げられていた東大の研究室があり、日本トップの東大に行っとけば、自分がやりたいことを自由にできる環境が整っているはずだと思い、高校在学時代は東大を目指していた。
がむしゃらに勉強したが、結局不合格。もう1一度東大受験にチャレンジしたいと思い浪人したが、ふと、「これはもしかしたら神の導きかもしれない(ここもやや厨二病くさい)。人の命に直接触れて、人類貢献できる医者に、俺はなるべきなのかも?医学とか、人の体の仕組みについても興味あったしな…」と思って、医学部を目指すことにした。
頭だけでなく、体力にも自信があった自分に医者は向いてるんじゃないかと思った。それが、医者になろうと思ったきっかけ。1浪で東北大学医学部に合格。
医学部で脳に興味津々
医学部在学中は、脳外科に興味を持った。シンプルに、脳の奥深さに好奇心をそそられたこと、そして、患者が生きるか死ぬかの場面に頻繁に出くわし、多くの命を救ったり、手足が動かなくなったり、喋られなくなったりするような脳神経の障害を治して、多くの人の人生を変えられる脳外科に憧れを抱いた。
しかし、脳外科の奥深さに興味津々だったものの、脳外科の医局という世界が、まさに脳のことしか考えていないような人の集まりで、非常に狭い世界の人間関係した築けず、実際に脳外科で働いている医者をみて、幅と奥行きがあって面白いと思えるような人は少ないなと感じてしまった。
なんとなく、誠に失礼ながら、「イケてないな、この人たち…」と感じてしまい、好奇心旺盛な自分は、もっと脳だけでなく、幅広く世界を見て、とにかくいろんな事をしてみたい、ビジネスをしてみたい、お金めっちゃ稼いでみたい、いろんな人に出会ったみたいという思いから、東京にいったみたいと思うに至った。
そこで、東京の大学の脳外科に入局しようと思い応募したが、間も無くして、地元宮城の県庁と奨学金のことで揉めてしまうことに。「このまま宮城に残らない場合、将来的に専門医試験を受けることができなくなってしまうかもしれない…」という、何の根拠もない脅迫じみたことを言われ、入局取り消しとなり頓挫してしまった。
※専門医…医学・歯学の高度化・専門化に伴い、その診療科や分野において高度な知識や技量、経験を持つ医師・歯科医師のこと。5年間以上の指定機関での専門研修を受け、資格審査ならびに試験に合格して、学会等によって認定された医師」と規定されている。医師として、特定の診療科での「プロ」と認められるための資格。
心躍らせ、希望で胸がいっぱいになっていた自分を挫くアクシデント…路頭に迷った自分がしばらく、「やはり地元仙台に残るべきだという、神の導きなのか…しかしここで東京に行けなかったら、一生後悔する…」と悩み続けた。その結果、やはり東京にはいきたいという思いの強さは変わらず、当時残っていた東京での就職先を片っ端から探した。
そのほとんどは、美容クリニック。美容外科、美容皮膚科、AGAクリニック、脱毛クリニックなど…それまで考えてもみなかったし、知人にもその道に進んだ人はごくわずかであった業界。単刀直入にいうと、「楽して稼げる」業界というイメージが強く、また出身大学である東北大学の人間からしてみればかなりアウトローでマイナーな世界でもあった。
社会貢献のために脳外科に進む、という道を選ぼうとした自分の意志とは矛盾するような選択になったのではないか、とどこか後ろめたさも感じてはいた。
東京で就職難民→大手美容外科クリニックへ
路頭に迷って就職難民となったが、リクルートサイトから大手美容外科であるTCBへ応募を出して、面接を受けた。
当時、美容外科の道は全く考えていなかったが、見学に行ってみて、手術も思っていた以上に幅広くできて、努力と成果が報酬につながりやすく、クリニックという小規模ではあるけどチームマネジメントも学べる美容外科がめちゃくちゃ面白そうだと感じ、美容外科の道に進むことを決意した。経営や営業、マーケティングという側面にも触れることができ、自分が取り組んでみたいと思っていたことを同時進行できる分野であると感じ、まさに美容外科はドンピシャで自分の「やりたいこと」とマッチした。
美容外科は、人を綺麗にして自信を持たせ、幸せにできるという、高尚で一点の曇りのない充実感の持てる仕事である。その気持ちは裏切られることもなく、今も仕事に没頭している。かつて想像していたものとは違う形で、社会貢献している。
今後のビジョン(ぼんやりと…)
「美容外科医は、欲に忠実で、お金好き」
そんなイメージが先行しているかもしれない。有名になって売れれば、儲かり、承認欲求も満たせる。確かにそのような美容外科医はいっぱいいるし、自分も同じような欲求を実際に持っている。
しかし、それだけでなく自分には「何か大きなことをしてみたい」という特有の欲求がある。これは今も昔も変わらない。
その「大きなこと」とは何か?それは、「医療改革」を起こすこと。
日本では、自分が今所属している「eクリニック」が、美容クリニックの中でそのビジョンの実現に最も近いところにいると確信している。
美容外科業界では革命的である「高品質低価格」を掲げ、低予算で希望を実現できる美容医療を多くの人に提供していく。しかし、そのためにはクリニック側にも、経済力やマンパワー、そしてマンパワーの支えとなるスタッフの給与とQOLを保ち続けることが必須となる。それを我々は何で維持していくのか。もちろん、「技術力」という、無形資産である。
上昇志向が高く、好奇心旺盛な医師が集い、知識と経験を圧倒的に増やし続け、技術を圧倒的に磨き続けることで、そのビジョンは実現可能となる。
そして、培った知識・経験・技術力と、美容業界という自由診療の中で得た資本を、「保険診療」に還元し、動かしていく。eクリニック初の保険診療クリニックである「まぶたのクリニック」が、その源流となるべく、2023年夏に開院した。
今後、自由診療の中でも美容外科業界は医師がますます飽和し、収益化も集約も難しくなってくるにつれ、保険診療の分野が容易にそれが実現可能となれば、保険診療の医師のQOLがどんどん上がっていき、医師の流入も増える。「激務なのに低給」と感じるドクターも減っていき、最終的には医療業界全体が、「やりたいこと、やりがいのあることをして、稼げる」という世界になっていけばと思う。これは、死に物狂いで働き、多くの命を救い続けていながら、低給を甘んじて受け入れている脳外科の世界を垣間見た自分が、夢見ている世界である。
そのために、自分個人がどうなっていきたいのか?
老若男女、いろんな人に自信を持ってもらえるような、そんなことをしたい。そのために、まず自分のところに人を集める力が欲しい。
知名度をとにかくあげて、美容整形を通して人を幸せにする。情報発信をして、多くの人に知識を与え、知恵を与え、自身がさまざまな教育と指導を受けて得られた経験を活かして、コーチングの分野にも携わっていきたい。
自分の仕事や事業自体が、社会貢献になっていく。集まったお金をまた投資に充てる。すると、社会貢献の規模もさらに大きくなっていく。
間接的に提供できる社会貢献は、事業投資であったり、情報発信であると思う。情報発信については、SNSなどのバーチャルを活用し拡散していく。
それによって集まった知名度と影響力、財力で、間接的な社会貢献も充実させていく。
医療界の権威になる、という人生のゴールも見据えて、この社会貢献のイメージを強めていく。
…というか、「社会貢献」っていうのが、かなり抽象度が高くなっている概念なんだが、身近なところで具体化していくと、近くにいる人に良いことをする、それだけでも社会貢献になるわけだ。
目の前の人に感謝する、励ます、助ける、しかる、そして結果的にその人が前を向いて生きていく。さらにその人が同じように近くの人を助けたいと思うようになる。社会貢献の連鎖。
仕事でもプライベートでも、目の前の人を楽しませたり、成長させたり、自信を持たせたりして、前に進ませる。目の前の人を幸せにできないのに、大きな社会貢献ができるとは思わない。
これがリアルで直接提供できる社会貢献。
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